30歳無職の活動日記

30歳無職の暮らしの発信と株取引の紹介

会社を辞めたきっかけ

こんにちは。紺色猫太です。

 

今回は私が会社を辞めたきっかけについてお話しします。

 

私が勤めていた会社は都内にあるインフラ関係の会社で仕事は事務職をしていました。

社員構成は100人未満の規模で大多数が中途採用でした。私も中途採用組です。

 結論から言うと、同じ部署の先輩が大きな原因で辞めることになりました。

その先輩は40代後半で私の教育担当のような立ち位置でした。その先輩は怒りっぽく、頑固で自分の意見を出したら決して曲げない人でした。

私は入社して初めて携わる仕事も多く、その先輩に何かと聞くことが多かったです。

仕事について質問すると、その先輩は「今まではこうしてきたから」「常識だから」が口癖でした。

しかし私は「それって本当かな?」と思うことが多々ありました。

 また、怒るというかキレるんですが(ここからは「キレる先輩」と呼びます)、定時後に私とキレる先輩だけで残っている時には3日くらい後を引きずるくらいのキレ方をされました。入社して間もない状態で直属の先輩にキレられるとお先真っ暗という気持ちになります。

最初は「私のために怒ってくれているんだ」「これも成長には必要なこと」「私が不甲斐ないからこんなことになっているんだ」と思って過ごしていましたが、入社して1年を過ぎた辺りから私の体に変化が出るようになりました。

キレる先輩は私の右隣に席があるのですが、お互いデスクで仕事をしていると私の右肩がピクピクと痙攣するのです。また、月次で作成する資料を先輩に見せた時に「これ、間違っているんじゃねぇか?」と聞かれることがあるのですが、その度に私は心拍数が上がって委縮した状態になっているのです。また、何か仕事について教えてもらった時には「ハイッ、ハイッ」と肯定の返事しかしなくなりました。もう、キレる先輩に睨まれるのも怖いし何かのきっかけで怒られるのも嫌だったので完全なイエスマンになっていました。また、帰宅途中の電車の中で自然と涙が出るのです。当時は先輩に怒られてもいないのに業務上の指摘とか質問をされること自体が私にとっては恐怖となっており、帰りの電車の中で思い出すと涙がポロポロと出ました。

あとから考えてみると心が死んでいる状態だったと思います。体に不調が出始めた時からいろいろなカウントダウンを自分でし始めます。先ずは、毎朝始業前にキレる先輩が「今日は休みでありますように」と始業開始迄に来ないことを祈るカウントダウン。また、先輩が定年退職迄あと何年で私はその時には何歳だ。とかです。

 

デスクワークがメインの人は仕事環境がデスクに縛られるので嫌な先輩や上司が近くにいたとしても逃げられないと思います。

 

当時の私が行っていた先輩になるべる関わらないようにする方法を下記に記載します。

 

➀仕事を早く覚える:

キレる先輩に関わらないようにするには出来る範囲で仕事を自己完結させることです。

しかし仕事なので資料チェック等で関わる機会はありますが、その際にも指摘されないようにミスは絶対にしない。また、先輩が資料について質問しそうなところは予め資料に盛り込んでおくことをしました。そうすることでなんとか先輩とのやり取りを抑えました。

 

②別の先輩と一緒に仕事をする:

私がいた部署は複数の業務を各自が担当するものでした。しかし突発的に発生する仕事は2、3人で取り掛かることもありました。そこで、他の先輩と一緒に出来る仕事を担うようにしていきました。そうして、キレる先輩と一緒に過ごす時間の割合を減らしました。

 

そうして、3年が過ぎた頃に私とキレる先輩は異動することになりました。異動先は二人とも同じでした。

異動先の先輩や上司には「キレる先輩とあなたはこの部署に来たばかりだから先輩後輩は意識しなくていいよ」と声をかけてくれましたが、私のメンタルは既に修復出来ない所まで来ていました。もうキレる先輩が視界に入るだけで吐き気がしたり頭痛がするのです。そのころには出社時にパソコンの電源を入れてカバンを置いてトイレに行って吐くことが日課になっていました。

 

異動して半年頃から仕事で凡ミスを繰り返し体調不良で休むようになりました。決まって月曜日に休むのです。家を出て駅に向かう途中で呼吸が苦しくなったり、めまいで動けずに家に引き返すようになりました。体調不良が出るのは月曜日だけではありませんでしたが、出社前は具合が悪いのが日常になっていました。

 

このままなのは良くないと思い、自宅近くの心療内科に受信したところ

適応障害」と診断されました。

(ちなみに会社のストレスチェックでも「高ストレス」でした)

 

しばらくして、業務成績が悪くなっている頃に自分の部署の役員に呼ばれました。役員は異動先の上司から私の調子がおかしいと聞いており、直接話をすることになりました。

その役員は私を入社時から高く買ってくれていましたが、上司からの話を受けて「最近は元気がない」「努力が足りない」「前みたいに元気に挨拶をしろ」と言われました。当然、役員は私が異動前に先輩とのいざこざで病んでいることは知りません。異動先の上司も私が単に「仕事ができないやつ」くらいの認識しかなかったようです。

役員と話をした時に「産業医に相談してみればどう?」と言われました。

 

正直、誰に相談しても環境は変わらないし、自分自身の状態が改善するとは思えなかったので外部の人に話だけでも聞いてもらおうと産業医に相当することにしました。

 

そして、産業医に相談したことが退職のきっかけになりました。

 

月に1度、産業医の先生が会社に来て、職場環境チェックと勉強会、希望者には面談を行います。私も総務部に面談希望を出して面談しました。

産業医の先生には私の体調不良について話しました。そこで初めて「会社を辞めたいと思っている」と言いました。退職の話をする順序としては本来は直属の上司→担当役員の流れですが、私の当時のメンタルでは直接は言えませんでした。また、産業医の先生と話をするうちに「あぁ、自分はこの会社ではこの先はやっていけない」という感情が固まって来ました。産業医が辞意を受けても総務部に面談内容の一部として伝えることしか出来ないとのことでしたが、お願いすることにしました。

 

15分程度の面談を終えてデスクに着くとキレる先輩がやって来ました。そこで「どうして離席してたの?PC上の共有スケジュールには何も書いてなかったけど」と言われました。別の先輩からは30分未満であればスケジュールに書かなくても良いと聞いていたので書かないつもりで産業医と面談していました。立て続けにキレる先輩から「勝手に離席すると懲戒になっちゃくうよ」と言われました。私は「????」「、、、すいません」と言いその場は終わりました。しかし「懲戒」という言葉がインパクトが強すぎて家に帰っても動揺していました。翌日、私は会社を休みました。

 

体調不良で休んだ翌日、直属の上司と面談することになりました。上司は気まずそうに私が産業医と面談した時にスケジュールに残さずに離席したことでキレる先輩から「懲戒だ」と言われたことについて謝られました。しかし私の辞意は固まっていました。上司から「総務部経由で聞いたけど、、、その、、、辞めたいっていうのは本当なの?」と聞かれ私は「はい。辞めるつもりです。」と上司に告げました。そこからは上司から役員に伝わり、退職になりました。

 

辞意を伝えてから退職日まで約2週間は業務をすることになりました。体調不良は変わりませんでしたが、最終勤務日までの日々のカウントダウンは楽しかったです。

 

ただ、後味が悪かったのが、直属の上司が私の最終勤務日前日に後輩と廊下で私のことを「プライドが高い」「自己管理が出来ていない」と話していたり、最終勤務日に私の席だけ別の場所に移ることを直前まで私にだけ教えてくれていなかったりしたので、「あぁ、人って信用できないなぁ」と思わされました。今では辞めて良かったと思っています。

 

結局のところ、私は会社で精神・体調面の不調を我慢して来ましたが辞めて思うことは以下です。

 

➀自分を守れるのは自分だけ

「毎日ちゃんと出勤する」ことを褒めてくれる人はいない。体調不良でも休みを勧めてくれる人はいない。自分の管理は自分しかできない。

 

②最初に辞意を伝えるのは直属の上司でなくてもよい

本来は直属の上司なのでしょうが、精神的に病んでる状態ではハードルが高いと思います。また、辞意の原因が上司だった場合は尚更です。最初の辞意の伝え先が上司である必要は無い思います。

 

③事態が好転することを考えて待ち続ける必要は無い

結局私はキレる先輩と最後まで同じ部署だったわけですが、毎年3月末の内示を心待ちにしていました。どちらかが異動すれば私はキレる先輩から距離を置けると思ったからです。しかし奇跡は起こりませんでした。自分に都合の良い環境の変化等はそう簡単に訪れるわけではないので、望む環境は自分で作るしかないと思います。

 

この記事を読んだ方で「こんな考えは弱いやつの思考だ」と思う方が中にはいると思います。ですが、別に他人の考えに左右される必要はありません。自分の人生の決定権は最後まで自分が持っているべきだと思います。でないと後々で後悔することになると思うから、、、

 

 

以上が私が会社を辞めた経緯です。

 また近い内に投稿します。ここまでお付き合い下さりありがとうございます。

あなたの人生がよいものでありますように。